息子へ,もしくは家内へ

息子と家内に言葉を残すための日記

写真に置き換える

ちょっとした出来事、丸二日の顛末を写真に置き換えてみました。

1.このデータは必要ない、というより出すと余計に必要性を問われる
 →写真フレーム中にこの部分はいらない、それが入るとその写真の言いたいことが薄れる

2.Aを説明するためなのに、Bの説明は余計。ごちゃごちゃとし過ぎていてわかりにくい。
 →この写真で何を表したいのか?余計なものが入ると表したいことが薄れる

3.前提となる条件は自分とその周辺は理解している、だが見せる相手はそうではないのだから、頭を切り替えて対応せよ
 →自分の表したいことは自分が良く分かっている、だがお客さんはそうではないのだから、客観的に自分の写真を見てみなさい

4.結局のところ、正直にデータから明らかに見える部分だけを説明し、それによってこういうことが考えられるという構成にしないと、説得力が無い
 →写った写真から見えてくる部分が重要で、そこからくるお客さんの反応を元にして考えないと、言いたいことを表すことは難しい

5.データを元に相手を説得するには、データから見えてくる部分を単純に記述していくだけでは不十分で、相手を想像しどういう順番で記述・説明するかを考えなさい
 →ポートフォリオを作る際には、見せる相手の立ち位置を想像し、どういう順番で見せるのが一番わかりいいのか?ということを念頭に順番を決めなさい

・・・などなど、
すべて同じようなことを言っているのかもしれないけど、仕事も写真も同じような思考が成り立つのだなと、職場で思い、ちょっと笑みがこぼれた。
イイネ!2)
   

コメント

  • むうり

    むうり2011年03月09日 08:21削除
    厳しい仕事の中でも写真に結び付けられるのろたさんに最敬礼です!
    仕事も学術論文も写真も、相手がある以上は、分かってもらうことが大事なのかもしれませんね。客観性を持って。難しいですね・・・。
  • 佐古(サコナ)

    佐古(サコナ)2011年03月09日 11:41削除
    写真に対する努力は「足し算」。写真作品そのものは「引き算」。
    簡単な言葉にすると、こんな感じかも。
  • ポンママ

    ポンママ2011年03月09日 12:50削除
    いつも難しいのろちゃんで
    頭のよくない私には何度か読んでなんとなく理解
    という始末・・・
    写真は「引き算」とならってきましたけれど
    この周りの雰囲気はどーなってるの?・・・今の先生はいつも言います
    それでいて周りすべてを入れた写真に対しては
    欲張りすぎ・・・難しいです
    とにかく私なんかそこで感じたらサッと撮って撮り逃げみたいな^^;

    とにかくあらゆる角度から、広く部分的にいろいろと撮ってみて
    あとで見てどれがよいのか考える(瞬間的なのは無理よね)
    何度言われてもなかなか守れない私ですけど・・・
    見てもらうには確かに相手があること・・・
    でも万人が理解できるってこともないでしょー
    ああ、むずかしい

    のろちゃんて真面目だ
  • のろた

    のろた2011年03月10日 01:22削除
    そうやって日常を「笑み」に変える・・・もしや、ただの逃げなのかもしれないと、あとから読み返して感じたりもしました。写真は自分の中でオアシスみたいな感じで、このように考えるとやなことが吹っ飛んでしまうこともあります。また、写真のことを考えることにもつながるし一石二鳥なんです・・・と言いたいところですが、正直自分の不甲斐なさに凹んでたりもします・・・
  • のろた

    のろた2011年03月10日 01:33削除
    私は、(一般的に言われているように)途上の過程では足し算は必ず必要だということについては、サコナさんと同じ考えなんだと思いますが、「写真は引き算である」と(いう名句だけではなくて、他にも名句があると思いますが)いうようなことは(一面では正しいことなのだと理解しつつも)、そういう風に鍵括弧付きで一刀両断することには少々抵抗を感じてたりもします。カメラが寄ったり引いたりすることがあるように、時にはあえていらない足し算をする様にしてフレームに入れ込んだり、逆に全く何者かさえわからなくなるくらい寄って引き算のしようが無いくらいにしたりと、いろんなやり方があるのだと思っています。長々とすみません。
  • のろた

    のろた2011年03月10日 01:47削除
    難しいっていうより、真面目なんだね、自分の性分が。まじめ過ぎるくらいの真面目で今まで通ってきた反動が、今になってむくむくと・・・。

    時には写真の法則とか、写真だけじゃなくて世の中でそうと思われていることとか、または仕事で「こうやりなさい」と言われたこととは、反対の方向に進んでみるのも面白いですよ。真逆から見ると、案外正しいと思われている方向の理解につながったりします、最近。

    たぶん、法則を守ることも含め守らないことと一緒に考えると、一体自分は?っていう問い対する自己テストになるような気がします。

    相手のあることは、難しいです、やっぱり。写真も見てもらう相手がいますけど、自分はいわば趣味の世界の中でのことなので、気楽に構えられます。面白いです。