息子へ,もしくは家内へ

息子と家内に言葉を残すための日記

高校時代の自分~その2「友達はゼロだった」

(承前)

(中略)そして、高校生になってからは、自分のダメなところが露わになり、(中略)なんだか自分だけおかしい(疎外?)感じを抱くようになった。(中略)以下のように分けて、苦しかったことを書いていきたいと思います。

・中学時代の自分 3年

・高校時代の自分 3年

・浪人時代の自分 2年

・大学(学部)生時代 4年

(中略)中学時代の自分をまとめた3つの観点は、以下の通りでした。

1.友達(と思っていた人)から家に招かれることが少なかったような・・・

2.奇を衒っていたわけではないのに、何かおかしな記憶が・・・

3.周囲から「しかと」されることもあったのに、自分はなぜか平気だった?・・・

当然、これらは高校時代まで普通に継承される(中略)結果が下記になります。

1.「(友達と呼べる)友達」はゼロだった

   →今更ながら「よく耐えた」と、自分を褒めてあげたい

2.「おかしな記憶」にとどまらず「こっぱずかしい記憶」がたくさん

   →恥ずかしい記憶は、恥ずかしくてここには書けないかも

3.「しかと」ではなく、ゆる~い「疎外感」

   →これも「よく耐えた」と、自分を褒めてあげたい

まぁ最終的には、この経験があったからこそ今の自分があるわけで、一概に高校時分の自分を完全否定するわけにもいきませんが、「もう少しこうしていれば、もっと楽しく過ごせたのではないか?」などと、今になってようやく分析的に考えることができるようになりました。以前は、高校時代の自分を葬り去りたい気持ちで一杯でしたが。

(承前)

 

今回は、まず1について書きたいと思います。

 

1.「(友達と呼べる)友達」はゼロだった

「友達」と鍵カッコつきで書いてしまったり、「(友達と呼べる)友達」などとカッコ付きで友達を定義しようとする・・・そういうところが、まず自分のダメだった結末を表しているような気がします。

いまだに友達ってなんだろう・・・と考えることがありますが、それが意味するところなんて、本当に友達がいる人はさほど気にすることでは無いのかもしれません。ですが、「友達」となると、何をもって友達と言えるのか?などと、一時期は真剣に悩んだ経験があります。

幸い、今となっては、鍵カッコつきの「友達」であろうが、た鍵カッコの付かない友達であろうが、自分が友達かもしれないと思える人は、全員友達だよな・・・という自分寄りの気持ちで友達と言って良いだろう・・・という結論に至りました(中年になってようやく)。あぁ長かった・・・

 

現代でも、少なからず「友達」について考える青年もいることだろうと思います。そういう人に言ってあげたい「『友達』という言葉自体、あまり意味が無いただの言葉である」と。結局、言葉の意味するところ(の深遠さ?)に惑わされて、いろいろ考えちゃうってところが「友達」というワードに限らずあると思いますが、言葉って言葉以外の何物でもない。「りんご」とか「鉛筆」などの物体を指す言葉は、ものさえ見たことがあればすんなり理解可能な言葉ですが、「友達」は状態?を表す言葉なので、そのものを見ることができない。見えないので、それぞれの人の感覚でその言葉が定義される。なので100人いれば100通りの定義が存在することになります。「気持ち」っていう言葉もそれに通ずるところがあって、100人いれば100通りの気持ち、友達も同じような括りになるかなと思います。

なんだか哲学じみた話になってきそうですが、言葉だけで完全に理解できることって、世の中にそうそう無いんじゃないかと。

 

少し話がそれてしまいましたが、とにかく自分には「(当時自分が思い描いていた)友達」と呼べる人はゼロだった・・・このことに、実感的になったのは高校時分ですが、実は客観的には中学時代もか?などと考えてしまいます。ですが、主観的には中学時分は「友達」がいたと感じてました。と言っても、自分的に学校生活等で不都合がない程度の「友達」だったんだと思います。不都合のない?ってほんと、嫌になっちゃいます、結局友達って都合・不都合で考えるものじゃないよねって書いていて、自分の感覚が嫌になってきます・・・

 

次回は、今回の続編「なぜ、高校時代に(当時自分が思い描いていた)友達がゼロだったのか」考えてみたいと思います。

高校時代の自分~その1

(承前)

(中略)そして、高校生になってからは、自分のダメなところが露わになり、自分では気が付かないところで、だんだん周囲との親密性が無くなる?と言ったらいいのか、周囲がよそよそしい?と言ったらいいのか、ちょっと表現がわからないけど、なんだか自分だけおかしい(疎外?)感じを抱くようになった。

(中略)

以下のように分けて、苦しかったことを書いていきたいと思います。

・中学時代の自分 3年

・高校時代の自分 3年

・浪人時代の自分 2年

・大学(学部)生時代 4年

(承前)

 

前回までは、中学時代の自分について書いてきましたが、今回から高校時代。

まず、高校時代の自分を概略的に俯瞰することから始めたいと思います。

 

中学時代の自分をまとめた3つの観点は、以下の通りでした。

1.友達(と思っていた人)から家に招かれることが少なかったような・・・

2.奇を衒っていたわけではないのに、何かおかしな記憶が・・・

3.周囲から「しかと」されることもあったのに、自分はなぜか平気だった?・・・

 

当然、これらは高校時代まで普通に継承されるわけで、そのことに自覚的でなかったことが、高校時代の後悔です。この3つを自覚することができず、高校時代まで継続した結果、招いた結果が下記になります。

 

1.「(友達と呼べる)友達」はゼロだった

   →今更ながら「よく耐えた」と、自分を褒めてあげたい

2.「おかしな記憶」にとどまらず「こっぱずかしい記憶」がたくさん

   →恥ずかしい記憶は、恥ずかしくてここには書けないかも

3.「しかと」ではなく、ゆる~い「疎外感」

   →これも「よく耐えた」と、自分を褒めてあげたい

 

まぁ最終的には、この経験があったからこそ今の自分があるわけで、一概に高校時分の自分を完全否定するわけにもいきませんが、「もう少しこうしていれば、もっと楽しく過ごせたのではないか?」などと、今になってようやく分析的に考えることができるようになりました。以前は、高校時代の自分を葬り去りたい気持ちで一杯でしたが。

 

次回、まずは1について書きたいと思います。

中学時代の自分~その4「他者から見た自分」

承前)

>1.これまでの人生で最も苦しかった局面について

(中略)中学校に入ってからは、少しずつ自己中心的(中略)。己のアイデンティティを確立していく年頃・・・できず(中略)。「中学時代の自分」、「極めて普通の中学生」(中略)。「鮮明に記憶に残っているあの場面(ちょっとした心の引っ掛かり)は、本当はこうだったんじゃないか?」。(中略)それが考えられるようになったのは、自分を責める気持ちを捨てられるようになったから(中略)。

1.友達(と思っていた人)から家に招かれることが少なかったような・・・

2.奇を衒っていたわけではないのに、何かおかしな記憶が・・・

3.周囲から「しかと」されることもあったのに、自分はなぜか平気だった?・・・

承前)

 

今回は、

>3.周囲から「しかと」されることもあったのに、自分はなぜか平気だった?・・・

について書いてみます。

 

結論から言うと自分はいわゆる「KY」=「空気を読めない」青年だったのではないかと思います。

 

何故かというと、自分本位の傾向が非常に強かったからと分析しています。

自分が他者にどう思われているかは全く意に介さず、「自分が(より優位に気持ちよくなるために)他者にどうしたいか?」を優先的に思考し、まさに「他者に自分のやりたいことを押し付けてきたのではないか」という実感があります。

 

そうすることで、された側は自分にどんな感情を抱くのだろうか?・・・そこは、完全に思考(想像)できていなかった。一般的な言い方になりますが、「周りが見えていなかった」のだと思います。

 

中学生時分の若かり頃には、そういう時もあるでしょう。ですが、私の場合、すべての事においてそうだったのでは?・・・と思いたくなるほど、そういう記憶が脳内を支配しています。そこだけを切り取って覚えているだけなのか?、すべてがそうだったのか?は、今となっては知る由もありませんが、少なくとも非常に自分本位な行動・言動をしていたことは確かで、何故かいまだ鮮明にその場面だけは記憶しています。おそらく、相手からのリアクションが自分の創造を超えていたからこそ、強烈に脳内に記録されてているのではないかと。

 

そうなると、「他者が自分をシカトしても平気」・・・というのも、一定程度は理解できそうです。他者が自分をどう見ているかは全く問題とせず、自分が他者にどうしてやろうか?ということが律速となり、相手が嫌がっていようがいまいが、どんどん他者に自分の意思を押し付け入っていたのではないかなと、今になって反省しています。記憶にある場面が、そういう場面だけなので、そういう行動・言動をとった頻度とか恒常性はわかりませんが、とにかく、そういうことをやっていた自分は確実に居た(中学時代)ということは言えます。

 

逆にやっかいなのは、家ではいわゆる「良い子」だった・・・ということ。それも、自分の反省すべきところです。周りから見れば「良い子」なので、親・親戚等に何か疑われることもなく(おそらく)、当時は子供同士で物事を解決するのが基本だったので、他者からチクられることもなく、中学時代の自己中心的な日々を当たり前のように過ごしてきた自分。

 

その代償は、のちに支払うことになるのですが、そのことはまた別の機会に書いてみたいと思います。

父または母へ~ゴメンナサイ

今回も番外編。

父または母へ。

 

父または母には、言葉に尽くせないほど、感謝、感謝、感謝・・・

それとともに、幼少期の(多分)ゴメンナサイ、青年期のゴメンナサイ・・・

 

今回は「幼少期の(多分)ゴメンナサイ」について。

 

自分は幼少の頃、ごくごく普通の生活を送ってきたのだ、と当たり前に思ってきましたが、おそらく両親からすると、そうではなかったんじゃないか?・・・と思うようになりました(ここ数年のこと)。

 

というのも、記憶を小学生くらいまで遡ると、なんだか不思議?というか、「あれはなんだったんだろう」的な記憶だけが鮮明に蘇ってきます。まぁ、普通に生活していた記憶は忘れられがちで、変わった記憶だけが残った・・・というだけかもしれませんが。

 

例を挙げると、下記の通り。

・担任の先生がうち(自宅)を訪問する、または逆に、両親が担任の先生と連絡をかなり密にとっていたような記憶。

・小学校低学年時のテストの点数がとても悪かった記憶、

・小学1-2年の時の担任の先生には、今でも妙な愛着がある(自分的に)。

・いわゆる「友達」的な対人関係が普通ではなかったような気がする(その時々で、同級生となんだか不思議な付き合い方をしていたような・・・)

・・・

挙げればきりがありませんが、具体的にあれがこうだったからどうこう・・・という記憶までは無く、パッと思いつく状況が、今考えると、結構特殊な部類に入るのではなかろうか、と感じます。

 

推測するに・・・

・担任と両親と頻繁に行き来=自分のせいでやり取りが密になっていた?

・テストの点数が悪い=知能障害を疑われていた?

・担任への愛着=自分がダメなせいでお世話になった→愛着?記憶が濃厚?

・いわゆる「友達」的な対人関係が普通ではない=ちょっとした障害?

などと、なんとなく自分が「普通ではなかった」せいで、そういった記憶が色濃く脳裏に残存しているのではないか?とも思うようになりました。

 

普通は、もっと早くそのことに本人自身が気が付くことなのかもしれませんが、自分の場合、両親があえてそのような言動・行動を自分に見せていなかったので、気が付くのが遅かったのかもしれません(自分のことで両親が頭を抱えている姿は見たことが無い)。今現在、普通に生活できていますので、結果オールオッケーなのですが、もしかすると、両親がかなり自分に配慮していたのではないか、とも思ってしまいます。

 

詳細は、小学時分の私の記憶より、両親の記憶の方が定かだと思いますので、いずれかのタイミングで「自分の幼少期、どんな子供だったか?」、と聞いてみたい気持ちもありますが、50歳になった今でも、聞くのが怖い気もします。

 

今は、とっても普通な自分だと思っていますが、「今も、実は普通ではないのか?」、幼少期のような思い込みで普通だと思っているだけなのか?などと、今現在の自分の自己認識まで疑ってしまうようなところはあります。

 

聞けるか聞けないかはともかく、こうやって文章に残しておけば、それを見返す日も来るだろうし、何も書き残さないよりはベターだろうという気持ちも込めて、締めにします。

 

あぁ聞きたい、でも怖い、50歳の輩が怖がってどうするんだ、などと葛藤しながらではありますが、自分の所在?を確認・再認識するためにも、いつかは聞いてみないといけないな・・・と思います。

父または母へ~感謝の気持ち

今回は番外編、父または母へ。

父または母には、言葉に尽くせないほど、感謝、感謝、感謝・・・

それとともに、幼少期の(多分)ゴメンナサイ、青年期のゴメンナサイ・・・

 

今回は両親への感謝について。

自分が今あるのは・・・と言うのは、ありきたりだけど、やはり一番に言いたい適切な言葉は、「今の自分が在るのは、両親のお陰です」。この当たり前で一見陳腐にも見える言葉ですが、この言葉に尽きます。

両親が居なければ生まれても無い・・・なんてことは置いておくとして、命を授かってから今に至るまで、両親がいなければ今の自分にはなれなかった。そして、自分が今の自分を好きになれていることは、とっても幸せなことだと思います。

青年期には沢山の謝罪しなければならないことはあれど、まずもって「感謝」しかない。そして、実は、「今まで生きてこれて良かった」・・・と本当に思えるまで、長い長い道のりでしたが、今や、妻との結婚、そして高校生になった息子と、自分が家族を持つようになり、また、息子が成長するにつれ、両親への感謝が大きく大きくなってきました。

 

ですが、この当たり前の「感謝」をきちんと両親に伝えられていない。

1か月ほど前、両親宅にお邪魔した時、家の中では他愛もない話をしていたのですが、帰り際に少しだけ感謝を伝えることはできました。面と向かって言うのは恥ずかしいなと思いつつ、先延ばし先延ばしにしてきましたが、帰り際、玄関を出る時、息子の話から一瞬私の話に切り替わり、会話の流れが「今だ!」となり、玄関を出てエレベーターに乗るまでのごくわずかな時間に、少しだけ感謝の気持ちを伝えることができました。

高校を卒業後、2年間の浪人、そしてようやく大学へ入学、そし4年では収まらず修士課程(2年間)への進学、さらに博士課程への進学と、その間の学費はすべて両親が支払ってくれており、多大な金銭的支援をもらえたこと、そしてそのお陰でその専門性を生かし、今の職場に就職できたこと、これらに対し感謝の言葉を述べることはできました。

ですが、感謝はそこだけに尽きるものではなく、まだまだ伝えなければならないことがたくさんあります。

 

齢80を過ぎた両親、早く伝えなければ後悔することになると、時折、頭をよぎるのですが、コロナ禍で両親宅を訪問する機会は、ここ2年激減しており、伝えるチャンスも少なくなりました。

また、今回は述べていませんが、ゴメンナサイ・・・しなければならないことも多くあり、一度、きちんと時間を取って、感謝の気持ちを伝え、また、過去にやらかしてしまったことへの謝罪の気持ちも伝え、本当に本当に「ありがとう」と伝えねば、気持ちが収まりそうにありません。

 

年内には、すっきりした気持ちになりたい・・・

両親宅訪問の機会には、次回こそ、しっかり気持ちを伝えよう、そう決心して締めとします。

 

次回以降には「青年期のゴメンナサイ」についても、文面に残しておきたいと思います。

中学時代の自分~その3 3つの自分のバランス

承前)

>1.これまでの人生で最も苦しかった局面について

(中略)中学校に入ってからは、少しずつ自己中心的(中略)。己のアイデンティティを確立していく年頃・・・できず(中略)。「中学時代の自分」、「極めて普通の中学生」(中略)。「鮮明に記憶に残っているあの場面(ちょっとした心の引っ掛かり)は、本当はこうだったんじゃないか?」。(中略)それが考えられるようになったのは、自分を責める気持ちを捨てられるようになったから(中略)。

1.友達(と思っていた人)から家に招かれることが少なかったような・・・

2.奇を衒っていたわけではないのに、何かおかしな記憶が・・・

3.周囲から「しかと」されることもあったのに、自分はなぜか平気だった?・・・

承前)

今回は、下記について。

>2.奇を衒っていたわけではないのに、何かおかしな記憶が・・・

中学時代は、それ以前もそれ以降にも見られない傾向がありました。それは、「急に踊りだす」、「急に歌いだす」、「急にセリフのようなことを口走る」・・・など。すべて「急に」という冠がつきます。

これはざっくり言うと、過去数日以内に見た(り聞いたりした)映画・ドラマ・歌番組・お笑い番組などに影響されていた公算が高いです、というか確実にそう。いわゆる「成りきり」・・・よく幼児・児童が仮面ライダーの真似するみたいな。ほんっとにほんっっとに、自分って「幼稚」だったと思います。思い浮かべると、今でも心がキュッとなります。

ここで、おそらく自分のキャラ的観点で重要なことは、周囲のクラスメート全体に向けて「成りきり」を見せるわけではなく、「とても仲が良いごく数人」にだけに見せていた…ということ。「すごく仲が良いごく数人」というワードは、それ以後も、ずっと心に引っ掛かり続けたワード・・・なぜ、ずっと心に引っ掛かっていたのか?それは、自分が一番よくわかっています。

少しだけ説明を試みますが、悲しいことに、正確には「とても仲が良い(と一方的に自分が思っていた)ごく数人」という表現が正確だということです。さらに悲しいことに、それを大人にるまで認識できていなかった・・・という事実。それを思うと、心がキューッと縮み、とても悲しくなります。ですが、それも一瞬だけで、思い出すだけで傷ついたりはしていない(と思ってる)のですが、いまだに心がキューッとなるのは事実です。

過ぎたことを悔やんでもしょうがないことはわかっています。ですが、「なんで自分はそうだったのか!?」、「家庭も特に問題があるわけではなかったじゃないか」と。正直言うと「自分は悪くない」、「環境?誰か?雰囲気?のせいで、自分はそうなってしまったのだ」・・・と、自分以外にその原因を求めてしまう自分もいます。「人のせいにしないで自分事として考えよう」などと、普段家族に言ってる自分が、「悪いのは自分以外、それは誰だ!?なんだ!?」と、未だに自分以外のせいにしてしまう自分がいます。

もう少し掘り下げると、「自分が思う自分ではなく、他者から見た自分にまるで考えが及んでいなかった」という風にも言えるかなと思います。人には「自分が思っている自分」、「他者から見た自分」、「こうありたいと思っている自分」・・・と、3つの自分が居ると聞いたことがありますが、まさに自分は、「自分が思う自分」と「こうありたい自分」だけが先行してしまっていたのだと思います。

自己愛が非常に強かった。自分が好き、自分以外にはほぼ無関心、極論すればそういうこと。「自分さえよければ良い」そんなんじゃダメだと、それは当時からわかっていたつもりですが、振り返ると実は全然わかっていない。それは、周囲がだんだん冷たくなってくことも十分あるな・・・と、今だから当時のことを思い返すことができます。

それはそれ。今はその点を十分踏まえ周囲と付き合っているつもりなのですが、中学の時のことを30年後に悔やんだように、例えば40歳の自分を70歳になってから悔やむことはあるのだろうか・・・と。それは残酷なことかもしれない、そう思いつつ、できるだけ3つの自分のバランスを保ちながら日々を過ごしていきたいと思っている(齢50)。

 

次回は

>3.周囲から「しかと」されることもあったのに、自分はなぜか平気だった?・・・

について書きたいと思います。

中学時代の自分~その2 友達って?自分って?

承前)

>1.これまでの人生で最も苦しかった局面について

・・・(中略)・・・中学校に入ってからは、少しずつ自己中心的・・・(中略)・・・己のアイデンティティを確立していく年頃・・・それがほとんどできず・・・(中略)・・・まず「中学時代の自分」について、苦しかったことをメインに書いていきたいと思います。中学時代の自分は「極めて普通の中学生」だった・・・と、大人になるまでそう思い込んでいた節がありました・・・(中略)・・・「鮮明に記憶に残っているあの場面(ちょっとした心の引っ掛かり)は、本当はこうだったんじゃないか?」・・・(中略)・・・それが考えられるようになったのは、自分を責める気持ちを捨てられるようになったからです。・・・(中略)・・・

1.友達(と思っていた人)から家に招かれることが少なかったような・・・

2.奇を衒っていたわけではないのに、何かおかしな記憶が・・・

3.周囲から「しかと」されることもあったのに、自分はなぜか平気だった?・・・

次回以降は、中学時代について、主に上記の3つに分けて書いていきたいと思います。

承前)

 

>1.友達(と思っていた人)から家に招かれることが少なかったような・・・

 「家に招かれる」=「友達宅に遊びに行く」ってこと。そういう意味では、招かれることが非常に少なかったわけではありません。当然、当時の自分も、なんの違和感もなく、招かれれば行ってました。ところが、中学時代後半になってくると、うすうすではありますが、「なんか自分が誘われることって少なくない?」「なんだか自分が招かれる時と、ほかの誰かが招かれる時で、お誘い文句?というか、誘う雰囲気?なんか違うよなぁ~」と思うようになりました。自分以外の人が誘われる時の方が楽しそう?興奮してる?親近感が半端ない?というような感じです。それで、若干の、ほんの若干の孤立感があったことはたしかですが、例によって、そのことは明確に意識することはせず、中学時代を終えました。

 おそらくですが、ここをきちんと「自分なりに考えておくべきだった」・・・と。今になって思うことを告白すると「自分は周りの空気感をほとんど読めていなかった・・・、ただ自分が楽しいと思うこと、自分がしゃべりたいって思う言動を繰り返し・・・、自分以外の人のトークにはナチュラルに無関心で・・・」といった様子だったのだと思います。周囲からすると、「あいつは自分のことばかり」、「全然こっちのことに興味は無いんだな」・・・と、そう思われても仕方がなかった側面があると思います。

 

 おそらくこのことは、2や3にも通ずる根本的なキャラだと思われます。

さて次回は、2と3について書いてみたいと思いますが、これを書いているだけで「あぁ自分の中学時代って・・・」と。でも、過ぎたことはしょうがない。事細かく覚えているわけではありませんが、基本的な思考回路が、おのれ中心だったんです、友達を他者として扱い、友達ってなんだろう?なんてことも考えず、ただただ、己だけの流れに身を任せ、ほぼすべての行動・言動が、友達という概念が抜け落ちたものだった・・・などと、自分を責める言葉に尽きません。ですが、いまさら過去を恥じるような年齢でも無いし、とりあえず、息子や家内に、自分がこういう経験をして生きてきたことを残します(見てくれないかもしれないけど)。