息子へ,もしくは家内へ

息子と家内に言葉を残すための日記

何がために写真なのか

最近,ふと思うことがあります.東川に参加してからですが・・・.

「自分は何のために,こんなに写真に夢中になっているんだろう・・・」と.

「好きでやっているんだから,そんなこと気にする必要はないね・・・」
とも思う.これは趣味だ・・・と.

写真は楽しい,写真を撮りたい・・・と,ただただ写真に夢中になってか
ら,足掛け5年が過ぎました.

その時に最初に思うことは,

「写真」で表現できるもの&出来ないものってなんだろう・・・と.


好きで写真を撮ってはいるが,残念ながら,それらを公式のレビューなど
ギャラリスト,写真家,評論家・・に理解してもらえた試しはありませ
ん.しかし逆に,近しい友人は,すごく理解してくれる.

このことは,
「自分の人となりを理解してくれている人にだけ伝わっている」
ということ.

「それで十分ではないか?いやもっと・・・」と,複雑な感じがあります.

しかし,理解してくれる人が1人でもいることは,非常にありがたいこと
です.


なんというか,ぱっと自分の中を突き抜けるものが無い・・・.

良く言われることは・・・

「コンセプトは面白いが,写真がついてきていない(弱い)」

「いろんなものが混在していて混乱する・・・」

「写真の中に言いたいことが現れていない」

「もっと写真が強くないと・・・.これだと弱い」

「言われれば理解できるが,言われなければ何のことは無い写真」

・・・・・・

「何のことは無い写真・・・」というのは,ぐさりと響きます.

単純に自己満足で「これを撮りました!」
と言ってるだけなら,響かないはずでもあります・・・.

渾身の一コマとか,一連の写真に対して,「何のことは無い・・・」とい
うのは,ぐさりときます.



「どうして撮った写真を人に見せるんだろう・・・」


当面のことだけは言えます.たとえば「東京で写真展をやりたい!」
とか,「写真集を作りたい!」など・・・.それはたしかにそう思いま
すが,その先にいったい何があるのか?・・・何も無いのか

写真(だけ)では何にもなっていない.
プラスアルファで文字とか,図面を用意してやっと少し理解してもらえる.
それらが無くても理解してくれるのは,ごく近しい友人.

ですが,「理解してもらっている」と思っているのは,もしかして自分だ
けか!?・・・とも.


この状況は,すごく厳しいのかも・・・.


以上のことは,今年の東川フォトフェスに参加して得られた収穫?です.


そして,現在のところ,自分が出せる答えは「中途半端はやめよう!」と
いうこと.


「やりたい(と思っていた)ことをやろう!」と,今年の抱負に掲げまし
たが,「やりたいこと」っていうのは,実は「やりたい!」と,無意識的
に思わされていることかもしれません.すると,今度は・・・
「やりたいことってなんだろう・・・」と.


ですが,前の日記にも書きましたが,少なくとも今までは無意識的に,
既存の評価の基軸に合わせて自分の写真を撮ってきた感が反省としてあり
ます.

こういったものが評価されているのだから,自分もこう撮れば良いのでは
ないか?と,暗示にかかっていたような気もします.

すべてに共通することは「思いきって大胆に!」との,東川での写真家
K.K氏の言葉につながっていると思いました.

これらを脱するのは容易ではないかもしれませんが,やりたいと思って
いたことを,既存の軸に囚われず考えることから,まずは始めたいと思
います.
イイネ!8)
               

コメント

  • kazuB

    kazuB2012年08月15日 23:00削除
    かの岡本太郎は、評価なんていっさい関係なし、自分を突き通せといっていました。また、中平卓馬はまず確からしさを捨てろといっていますね。60年代後半に隆盛したコンポラ写真は、いまだに一部批判的な評価を受けながらも独自のカテゴリを勝ち取っています。今回の東川で北島敬三氏のアドバイスは、横で聞いていた僕にとっても的を得ていたように思います。目から鱗でした。
    個々の写真の評価を自問自答するまえに評価を与える側の方向性を見据えてはいかがでしょうか?
    魚を買いに八百屋へ行っても、ナニもはじまらない、魚屋を探しましょうよ。また、飲みながら続きをやりましょう。17日楽しみにしています。
  • やなちゃん

    やなちゃん2012年08月16日 01:03削除
    ⇧の視点は大切だと感じます。
    評価をする側の方向性、というのはあります。
    人に見てもらうのは、あくまで自分のコンセプトと作品に主体性があった上での話なので、レビュア全員の評価をいちいち全部鵜呑みにする必要はありません。
    「評価≒一般化」に近づく訳なので、必要な客観性を受け入れ、不要な評価は受け入れない基準が自身にまだ無いのかもしれないですね。
    私は東京の某ギャラリストのレビューはイマイチでしたが、NYのギャラリストへの作品とコンセプトとバイオは手応えがあり審査を通りました。
    レビュアを選ぶ目を養いましょう。
    「これを撮らざるを得ない」というパッションが、その人の正解なのです。
  • 佐古(サコナ)

    佐古(サコナ)2012年08月16日 01:54削除
    迷ったら、しばし動かないで、状況把握
    するのが、良いかなと思います。
    急ぐ必要ないですから。
  • 郡山三郎

    郡山三郎2012年08月16日 15:22削除
    写真の歴史といいますか、どの写真はどこの系譜なのか、この写真はオリジナルと言ってるけど誰の作品のパクりなのかを把握する事から始めましょう。そうすると本質が見えてきますよ。
  • イサ・ビン

    イサ・ビン2012年08月18日 15:47削除
    何を書いても十人十色の見解があると思います。
    この壁は自分の持っている答えが
    何よりも正しいものです。

    僕の好きなスタジオジブリの鈴木プロデューサーは
    「自分は信じない。他人を信じる」
    と言っていました。
    つまりこういう考え方で自分を貫いている方もいるのです。

    「続けるって事自体、一つの勝負だ」
    これは札幌の先輩の言葉です。
  • のろた

    のろた2012年08月18日 18:18削除
    みなさん
    いろいろご意見などいただき、ありがとうございます。一つ一つ、じっくり考えることができず、まだまだ悩み中ですが、この先もきっと写真をやっていくのだと思います。その中で少しずつ自分の中の答えのようなものを探していきたいと思います。しばらくは、写真を人に見せたりする前に、自分自身の整理が必要かもしれません。