中学時代の自分~その1~
(承前)
>1.これまでの人生で最も苦しかった局面について
・・・(中略)・・・中学校に入ってからは、少しずつ自己中心的なことが原因で、周囲、特に友人との関係がきちんと保たれないことがチラホラ出てきたように思う。・・・(中略)・・・普通は、自分で自分のことをきちんと認識し、己のアイデンティティを確立していく年頃だと思うのだが、たぶん自分には、それがほとんどできず、器が周囲の同年代のクラスメートと異なったまま、異なるとも思わず、ただただ日々を過ごしていたように思います。そして、高校生になって・・・(中略)・・・
(承前)
まず「中学時代の自分」について、苦しかったことをメインに書いていきたいと思います。
中学時代の自分は「極めて普通の中学生」だった・・・と、大人になるまでそう思い込んでいた節がありましたが、「普通」というのは主観的な普通であって、おそらく客観的には(周囲からは)、そうは思われていなかったようにも感ずるようになりました。大人になるにつれて、中学時代のちょっとした引っ掛かりみたいなものを、冷静に分析できるようになってくると、「鮮明に記憶に残っているあの場面(ちょっとした心の引っ掛かり)は、本当はこうだったんじゃないか?」「あの時の雰囲気は、自分に原因があったんじゃないか?」・・・と。それが考えられるようになったのは、自分を責める気持ちを捨てられるようになったからです。過去を責めるでもなく、当時の自分とその周囲との関係を、冷静に客観視できるようになってきた・・・ということだと思います。以下に、ちょっとした心の引っ掛かり(原因がわからなかった、というか、原因なんてわからなくてOKと放置していた)を書いてみます。
1.友達(と思っていた人)から家に招かれることが少なかったような・・・
2.奇を衒っていたわけではないのに、何かおかしな記憶が・・・
3.周囲から「しかと」されることもあったのに、自分はなぜか平気だった?・・・
次回以降は、中学時代について、主に上記の3つに分けて書いていきたいと思います。
苦しかった局面 今思えば・・・
>1.これまでの人生で最も苦しかった局面について
最も苦しかったのは、大学(学部生)時代(だと思う)。だけど、これに関しては、書けないことも多い。また「最も」・・・っていうのが難しい。「最も」苦しかった・・・と思うことが、年を取るごとに変わっていく感じ。
でも、今思えば「最も」かどうかはともかく、いわゆる人間関係で苦しむことが多かったように思う。まず、記憶にある中で、最初に苦しかった経験は、中学生時代だったと思う。記憶があいまいだが、初めて村八になった。小学生時代は、な~んにも考えていなかったからだと思うが、人間関係で悩むことはまず無かった。意識せずナチュラルに「自分が一番」「己が中心」「人が自分のことをどう思おうがお構いなし」と、思っていたに違いない。1日1日、自分中心で突き進んでいたように思う。言ってみれば、すんごくわがままな小学生時代だったのかもしれない。
しかし、中学校に入ってからは、少しずつ自己中心的なことが原因で、周囲、特に友人との関係がきちんと保たれないことがチラホラ出てきたように思う。ただこれは、今思い返すと・・・ということであって、当時は全然そんなことはお構いなしだった。それが良くなかった! 普通は、自分で自分のことをきちんと認識し、己のアイデンティティを確立していく年頃だと思うのだが、たぶん自分には、それがほとんどできず、器が周囲の同年代のクラスメートと異なったまま、異なるとも思わず、ただただ日々を過ごしていたように思います。
そして、高校生になってからは、自分のダメなところが露わになり、自分では気が付かないところで、だんだん周囲との親密性が無くなる?と言ったらいいのか、周囲がよそよそしい?と言ったらいいのか、ちょっと表現がわからないけど、なんだか自分だけおかしい(疎外?)感じを抱くようになった。
以後、浪人時代~大学にかけて一旦持ち返すものの、大学学部生の頃は、やはり人間関係、今度は男女関係で最も苦しい局面を迎えることになった。それ以後、大学院、博士後期課程へと進学するものの、表面ではうまく取り繕っているようではあったが、真の?、本当の意味での?、心から?人と関わることがほとんどできなかったように思います。
そのどん詰まり感は、社会人になってからもしばらく続き、ようやく齢50になって、こうやって文字に残すことができるほど、自分の過去を冷静に見つめられる己を確立できたのだなと感じます。
次回以降は、以下のように分けて、苦しかったことを書いていきたいと思います。
・中学時代の自分 3年
・高校時代の自分 3年
・浪人時代の自分 2年
・大学(学部)生時代 4年
・大学院(修士課程)時代 2年
・博士後期課程の時代 1年半
・就職してから 数年
伝えたいことってなに?
「一番伝えたいことは○○〇・・・」って良く言うけど、1番なんてない。あるとすれば、「ありがとう」っていうことだけかもしれません。別にかっこなんてつけないリアルで人生最大級の「ありがとう」
すべてを伝えたい、自分が生きて得たすべて、
こうすればよかったという反省、こうあるべきだったという理想、
何もかも伝えたいけど、それは難しいのかなとも思います。
伝わる?伝わらない?
いつか伝わる?一生伝わらない?
なんてことよりも、とにかく言葉として残せば、いくらでもあとから参照することができる。参照されなくても構わないけど、できればザっとでも見てほしい、書くからには・・・
「すべて」と言っても、いったい何を?何から?伝えればいいのだろう・・・
1.これまでの人生で最も苦しかった局面について
2.2番目、3番目に苦しかった局面
3.どうやって乗り越えたか、もしくは乗り越えなくて良いのものか
4.こういう人生だったので、こうすれば良かったのに・・・という反省
こうして、ただなんとなく列挙してみるだけでも、マイナスなところだけになってしまいそうなので、これは楽しかったぞ、とか、こういう風に楽しむのがいいぞ、など、そういう明るい話題も必要かもしれないです。
齢50になった自分、いよいよ本気で書かないといけないと感じます。
2022.05.01
GW3日目。
休日が続くことは素直にうれしいんだけど、なんか少しモヤモヤします。なんでだろ・・・。たぶん、「休み中に達成しなければ・・・」という気持ちがあるんだろうね、よくない、よくない・・・。
休みの日は「休むことに集中しよう!」なんて考えてしまったり、そう考えること自体、おかしいかも。まぁだけど、今回のGWは、仕事も落ち着いているし、少し腰を据えて、作品作りというか試作品づくりには集中できる、好きなことだからだろうね。
明日は友人と展覧会巡りをします。
22.04.30
昨日からGWに突入。
今日は主に家内へ
・(ささいな)嫌だったことは、極力ポジティブにとらえたい
・死ぬまで修行中の身であることを忘れないように生きたい
・日々の生活を面白くしていきたい
・時にすべり、時に笑わせることで、ちょびっと前向きになれると信じたい
・一方、笑ったりふざけたりしない場面も大切
・それを感じ取れるようになりたい
・まじめに面白い?面白くまじめな?生活にしていきたい
・家族とは言え、人のことは「わからないという前提」を忘れないようにしたい
・相手を責めるときは、自分の非も認める覚悟をもって接したい
・家族でも言ってはいけないことがあるということを忘れないようにしたい
2022.04.26
突然の、急な依頼への対処方法 ※キーワードは「外部の人」
・依頼への対応方法を考えるために「外部の人」とMTをすること
・それ以後に、依頼への対応方法を検討すること(「外部の人」とのMT以前には、依頼には応えられないことを暗示)
・・・を伝える。
外部の人との繋がりが大いに活用できる平の場合には、外部との関係性で内部の急な依頼への対応を先に延ばす(というか本来あるべき姿に戻す)ことができる。
根本は、そもそも内部の人同士の信頼関係の問題。
バリバリいろんな依頼に内部で対処してきた実績に乏しい身としては、大きな信頼は勝ち得ていない(まぁこうなるよな・・・という実感もある)。
天才ならすぐに対応方法が思いつくのであろうが、凡才には無理。
なんとか正常な回路に頭を戻してもらうために時間を稼ぐ。