「愛の小さな徴(しるし)~Signes d'Amour~」@
JRタワープ
ラニスホール、今日見に行ってきます。
http://www.jr-tower.com/planis/info_detail11.phpあと、それに関連して
「記憶の旅」映画上映@
札幌シネマフロンティア 試写室
も見てきます。
明日予定されている「
トークセッション」
アート・写真・映画・文学「愛の小さな徴」をめぐって
~
港千尋(写真家・批評家)×
岡部昌生(美術家)×
伊藤隆介(映像作家)
にも行きたかったんですが、映画が土曜日にあたってしまったので、明日は外に出られません、たぶん。
以下、HPからの引用です。
過去は、どこにあるのでしょう。メディアに囲まれている現代人は、過去が記録メディアになって、脳の収納箱に整理されているように思いがちですが、どうもそうではないようです。忘れていた遠い出来事が、些細なきっかけでありありと思い出されることは誰にもあります。他人には見えないほど小さな何かが、その人にとっては、かけがえのない過去の徴になるからです。こうした些細な徴は、わたしたちの「想起の力」を常にどこかで待っているのかもしれません。
また過去はときに強い感情や感覚と結びついて、目の前に現れます。失われた愛の対象が、音や香りや味とともに生き生きとよみがえる、その不思議な現象は、多くの芸術家を魅了し、悩ませ、多くの作品を生み出してきました。記憶とは、想像力によってわたしたちを過去へと旅立たせる、一種の時間旅行だと言えるでしょう。
この展覧会は過去がどのようなイメージをもって、わたしたちに現前するのかを、いくつかの作品を通して探るこころみです。映画、写真、アート、文学とジャンルを横断していますが、どの作家にとってもイメージをつくることは、失われた時へと手を伸ばし、いまひとたびの出会いを探る旅にほかなりません。出会いと別れがさまざまな記憶を生み出してゆく「駅」という場所から、イメージの旅が始まります。
キーワード的に
「愛の徴(しるし)」
「記憶の生み出される場所」「記憶の旅」
「記憶とは過去に触れるイメージの旅」
「過去を想起することは未来を生きること」
「想像力の時間旅行として愛の小さな徴という過去と記憶をめぐる[ものがたり]」
「映画・写真・アート・文学といった様々な表現手段」
「盲目の写真家ユジェン・バフチャル氏の写真」
といったことに自分自身が触れられるかどうか?拝見してきます。
港千尋氏の作品はもう少し、言葉が欲しかった気がしました。
語らないことにも意義があるのでしょうけど、語らなくとも脳裏に焼き付くほど強いヴィジュアルでもなかったので、少々疑問が残りました。
でも、札幌で今回のようなテーマの展示が行われることは本当に素晴らしいと思います。
アラン・レネの映画も観に行く予定でしたが、忘れてた…。
今度、感想をお聞かせください。
ちなみにぼくは今日は学生のカメラ購入の引率をしてました。苦笑
長々と失礼しました。
映画も良かったですよ。映画を見てから展示を見たんですが、そのおかげなのか?どうなのか?展示も興味深く拝見できました。
あとで感想を日記にするかもしれません。人間の「記憶」(の断片)って一体何なんだろう?とか、過去、現在、未来って時間のことを考えさせられ、良い刺激になりました。