息子へ,もしくは家内へ

息子と家内に言葉を残すための日記

もう11月

今年になって日記を書き始め、あれよあれよともう11月。日記はなんとか1年は続けられた。最初はなかなか書けなかったけど、途中でシステムに問題ありと気付き、携帯から書けるようにウェブ上で書くようにしたのが功を奏したみたい。結局、長続きしないものって、長続きさせるシステムに問題ある場合が多いんじゃないかと思うようになった。なので、仕事もプライベートも長続きさせようと思ったら、システムから考え、ダメだったらシステムから考え直す、そういうのが必要なんだなと、日記を書くことを続けようとして勉強になった。
さて、息子はどうだろう。長く続けようと思うが続かないっていうような自己啓発的なものはまだ息子には見当たらない。けど、嫌々やってることはある。勉強というか宿題。これって嫌々にならないシステムってあり得るだうか。自分からやろうという動機、そういうのが無く義務的にやってることって長続きとか、集中とか、前向きに続けることは難しいよね。自分はと言うと、半ば強制的に勉強させられてたので(今思うと)、知らず知らず洗脳させられたみたいに、中学時代は勉強してた。でも高校生になったら、なんだかヤル気というか、危機感というか、なんだか気持ち的に緩んできて結局大学には現役ではいれなかった。
無理やり勉強やらせることができるのも、たぶん中学までだろうなと思う。高校生になったら、自分自身の底力が試されるような感じ。自分の場合、わからないことが出てきても、難しいんだからしょうがないか、という気持ちになったり、今はわからなくても本気でやればわかるはずだから、今はいいやとか、自分に対して変な自信もあった。この変な自信とか、諦め感ってなんなんだったんだろう。
息子は中学まではたぶん大丈夫だろう。そして、自分と同じようにまず高校生になったら、試される時期が来る。自ら進んでやれるかどうか、やっているように見えても、実は気持ちで負けていたり、そういうのってどうやって励ませば良いんだろうか。中学時代にあまり天狗にならないようにしたら良いのか?自分は少なくとも中学が田舎だったので、完全に田舎の大将だった。息子の場合、札幌なのでそういうことはないだろうけど、もし自分に考え方が似ているなら、まず高校生でちょい挫折する。でもまぁまずは中学だね。