息子へ,もしくは家内へ

息子と家内に言葉を残すための日記

祖父母との接し方

 昨日は新十津川(義理母の両親)、工藤家のじいちゃん・ばあちゃんを訪ねてきました。「もう今回が隼の顔を見るのも最後になるかも・・・」などと、弱音を吐いていたらしいですが、訪問してみるとおじいちゃんもおばあちゃん(隼にしてみればひいおばあちゃん・ひいおじいちゃん)も、まだ元気な様子でした。だけど、ご子息の工藤光善さんいわく(ちょうど来ていた)「お客さんがくれば気丈にしているだけ」と言ってました。それはたしかにあるかもしれない。行ったときはおばあちゃんは居間で昼寝していたし、おじいちゃんはソファーに座ってだらりとしていました(寝てたのかも)。

 そんな中、小6になった隼が、高齢な親戚にどんな態度をとるのか?少しばかり気になっていました。だけど、心配は無用であるとわかりました。おじいちゃん・おばあちゃんに小さな声ではあるものの、きちんと挨拶できていたし、きちんと正面向いてお話もできていた。えらいぞ、隼。

 隼は恥ずかしがり屋、小6という年齢的には、家族以外の人に接するときは、恥ずかしがるのが常。恥ずかしがるのはそれはそれでしょうがないし、小6の恥ずかしがりーの範囲を超えてはない(と自分は思う)。それよりも自分は自分で、「もう会う機会はないかも・・・」などと言っているおばあちゃんに、どのような言葉をかけたらいいのか?最後の最後までいい言葉がみつからなかった。で、最後にストレートに「おばあちゃん、これが最後なんてことはない。また来るからね、隼が中学に入る前に来ます」と伝えるのが精いっぱい。

 順番というものがあるなら、次に天国に旅立つのは新十津川のおばあちゃん・おじいちゃん。自分が、ミツエばーちゃん(自分の父の母)になんだか最後は優しくしてあげられなかったことが、のちになって悔やまれる中、新十津川のおばーちゃん・おじーちゃんには、そのような後悔の念を抱くことが無いようできる限りのことはしたい(隼の顔を見せに行ってあげたい)と思ってます。