息子へ,もしくは家内へ

息子と家内に言葉を残すための日記

1か月あいた

 - 2016/06/16(Thu)
 日記がまたあいた.1か月以上書いていない.
 なかなか毎日は難しいので,毎日テーマをどっかからもらって書いていくことにしようかと思案中.どこからもらおうか?ネットから「子供 教育」で引いてみたところ,「こどもの自立」と出た.今日はこれで.
 この言葉を聞くと,「自立」ってなんだろう,と思う.ある意味,大人でも自立できていないとされる人もいるし.大人でいうところの「自立」,子供でいうところの「自立」は,一見意味が違うようにも思えるが,おそらく根本的な意味は同じなのかなと思います.
 自分は自覚的には,自立が遅かったように思う.なので,息子にはなるべく早く「自立」してほしいと願っている.これは,自分の経験的な反省があるものだから,普段から気にしているキーワードです.嫁は,なんでも息子のやってあげようとする.だけど,自分はなるべくやってあげないことを意識している.やってあげると,やってもらえるもんだと思って,いつまでも自分からやらなくなる.これは,自分もおそらくそうだったんだと思います.察するに,あまり子供のころは要領がよくなかったので(今も要領よいとは言えないが),大人からすると,ささっと片付けたくなって,ついやってあげてしまう・・・ということだったんだと思います.
 あと,注意しているのは,自分で考えること.なにかあると,息子には「どう思う?」とか聞くようにしている.テレビなど他人事についても,息子の反応を求めるようにしているな,そういえば.これは自然にやっている.だけど,自分はこう思うんだけどね・・・「で,息子は?」という聞き方になってて,そうなると息子はあまり答えてくれない,そういえば.他人事だと難しい.自分事になると,そうはいかない.どうしたいのか?など息子の自発的な意思が重要なので,なにかあると,「どうしたい?」と聞くようには意識している.だけど,テレビの他人事の方が割合は多いかな.
 要は,なにか意思決定をする際,援助するだけにとどめるように心がけている.その選択の結果,責任もついてくるものなので,自分が考えて実行した結果,こうなった・・・という結果,そして自分の選択がよかったのか?悪かったのか?内省してもらえるとよい.大人になると,おおきな「選択」の局面に立たされる.子供の場合は,ささいな「」ではあるが,普段から選択とその結果と,内省,そして次にどうするか?というプロセスを意識することはできると思います.息子へ,今は大きな結果を伴う重要な「選択」は無かろうが,将来,今よりももっともっと重要な選択が待っている.その選択は自分の人生を決める.だけど,選択は親がしてあげるものではなく,自分でするもの.自分で選択できるように援助はするが,自分で決めて自分でその道をすすんで,その結果が出る・・・という人生の中でのチャレンジ,分岐点がいっぱいある.人生は一度きり,その中で自分がどうしたいか,を援助を受けながら決められる子供になってください.