息子へ,もしくは家内へ

息子と家内に言葉を残すための日記

09.09.10

朝6:30起き、自分の将来について検討する。

出勤、今日も丸一日、外勤。
外勤後、職場に戻るが、すぐに帰宅。

帰宅途中、車中から写真を数枚撮影。
帰りにスーパーへ、家内から言われた買物。
スーパーでも写真を数枚。

帰宅、夕飯。
夕飯後、「森山大道とその時代」を再読。
たくさんのフレーズがひっかかる。

そのひとつ。
・・・一つの焦点から一つの優位なイメージを選んで
その有機的な統一性によって破れのない現実の知覚を
体現させる「ゲシュタルト」的な視覚・・・一つの焦
点を定めず画面全体に視線を分散させる「下位の視覚」。
・・・・・・
前者が、優位のイメージを際立たせるために視覚のフ
ィールドにあるギャップや不完全なものを修正し、滑
らかにならしていくのに対し、後者は、個々のイメー
ジの輪郭よりも背景に着目し、視覚のフィールド全体
を一つの未分化な視覚体験として把握する。
・・・・・・
(後者は)ある事象の全体をざっと見渡したり、目の
端で物を見たりするとき働く「無意識の視覚」といえ
るものだが、それによる物事の把握は、長時間続く意
識的な観察よりもずっと的確に、現実の総体を掴むこ
とができる。

自分の感じていたことと通ずる部分。
逆に、何のために本を読んでいるのか?わからなくなっ
てきた。自分の感覚を確認したいだけ?・・・

その後、「森山大道、写真を語る」の第一部を読み終
えた。

その中にも、引っかかるフレーズがちらほら。

そのひとつ。
・・・日常あれこれの生活圏として歩いてたりしてい
る現実の新宿っていうのが当然ぼくの中にもあります
よね。でも、そうじゃない、全く架空の場所ではない
んだけれど、ぼくの思惟や肉体やカメラを通して広が
っているもうひとつの新宿の街区があります。いつも
その両方の新宿が、コインの裏表関係として存在して
いるわけです。

なるほど、というかやっぱりか、といった感じ。

息子を寝かしつけ、自分も一旦就寝。
そして、夜中に起き出して、日記を更新。