息子へ,もしくは家内へ

息子と家内に言葉を残すための日記

失敗すること

 ここんとこは仕事が順調。分析はうまくいっているし、ほぼ予定通り。ただ、一つ気がかりなのは野外実験・・・これがあまりうまくいっておらず、上司からは失敗してもOKという感じでやったらいい、と言われてはいますが、おそらく失敗したら失敗したで何かショッキングなことを言われるに違いない。いつもそう、こうやったら良い、とかなんとか指示的なものがあって、それに沿ってやっていても結果を見ると、上司は口調ががらりと変わる。プロセスになにか気に入らないことがあると、おそらく全体が気に食わなくなるのだろう。たぶん、人ってそんなもんだ・・と諦めの境地になりつつあります。自分はそうならないように気を付けないといけない。

 で、言いたいことは人の言う事を鵜呑みにするなってこと。やるのは自分なんだから自分が納得いくようにやったらいい、上司が何と言おうと。大きな責任をとるのは上司の役割なんだから、いろいろ小言を言いたくなる気持ちはわかるが、その心理的しわ寄せはすべて担当者である自分に向かう。その時に自信をもってものを言えるように準備しておく必要がある。

 息子にも言いたい。最終的には、だれもけつを拭いてくれない(大きな責任は果たしてくれると思うが)。ならば、好きなようにやったらいい。自分で自分のけつを拭く覚悟が必要。そういう覚悟ができていないと、こう言われたからこうやった、そしたら失敗した、失敗したのは指示が悪かったせい・・・と正論のように聞こえるが、実際の社会の運用ではそれは通用しない、というか通用させようと頑張れば頑張るほど自分が劣勢になるような仕組みになっている(ように感ずる)。建前ではそれでいいのかもしれないが。あと、最終的な判断は上司か担当者かという違いではなく、本人に評価に響いてくる。もちろん失敗したときの心的ストレスはほとんどが担当者が被る。そういうことに早くできるだけ早く気づかせてあげられるようにふるまっていきたい。