息子へ,もしくは家内へ

息子と家内に言葉を残すための日記

信用できる人、できない人

信用できそうな人、信用できなさそうな人の判断は簡単。インスピで決まるので。だけど、信用の度合いってものは、なかなか見た目や喋りだけからではわからない。ちょっと信用の度合いという表現は当たらないかもしれないが、その人が何をどの程度、どれくらい先を見越して言葉を発しているのか、それは状況にも依るし、人にも依るし、様々な要因が複雑にからんで言葉となって発せられると思う。もしかしたら自分のことしか考えていないかもしれないし、そう見えて実は一番自分のことを考えてくれているのかもしれない…。
そう考えると、やはり自分が一番信頼できる。ただ自分というのは、各人みな失敗もするし成功もする。そこをどう修正しながら前に進んでいくのか?一番効率よくこなす方法や考え方はほかに良いものはないか?など、自分以外の視点もあった方が良いことはたしか。
考えが透けて見えるくらい正直な人が良い。発する言葉に裏があっても、すぐ見透かすことができる。厄介なのは、裏がないにも関わらず、逆効果なことを言う人だね。
わかりづらい人、何を考えてそう言っているのか?全くわからない場合もある。自分の理解を越えているというのか。そう言う人は全く異なる意見が聞けるのである意味重宝する。
いろんなタイプの人がいるが(タイプとくくること自体ナンセンスかもしれないが)、上記のように考えると、やはりリアルに会って喋って自分が信用するに足るか判断しないといけない。ネット上で判断するにはかなりのリスクがある。また、信用できそうか否かは、言われなくとも心の中で自然に判断しているのだろうけど、信用の程度は、状況や案件によって信用できる人であっても薄いこともあるだろう。
息子に伝えたいことは、人への信頼はもちろん、信用できる人であっても案件ごとに、実際に会って言葉を交わさないとなにもわからないと言うこと。ひとを疑え!とまでは言わないが、自分を一番に信頼してあげることが必要。自分を信頼できるようになるには、自分の思う方向によせて成功や失敗をした体験なんだろうと思う。これからの長い人生、成功も失敗も最後は自分の価値観に基づいて動いていってほしい。