息子へ,もしくは家内へ

息子と家内に言葉を残すための日記

自分に置き換えてみる4

 - 2016/02/28(Sun)
5.中堅(37歳~40歳) 

研究部門に戻って最初の一年はリハビリ的な1年だった.

ほかの研究員はそれなりに忙しくしている中,自分はやることもさほど多くなく,誰かのお手伝いばかり.こんなんでいいのだろうか?と思っていた矢先,前任者から引き継いだ,とある札幌市の地盤に関する研究で,次の年からチーフで研究を実施することになった.計画は2年間.

その研究を実施して1年とたたない頃,別の研究部署に居た同期(Kさん)が自分と同じ部署に配属になり,一緒に仕事をおこなうことになった.最初からなんとなく,嫌だな・・・という予感はあった.その仕事はその同期がチーフ,自分は二番手を任されるくらいの分担感だった.

それもあって上に書いた自分がチーフだった研究は計画変更で発展的に解消となった.今後,3年は彼と研究をおこなわなければならない.しかも,最初からあまり合わないなと思った同期との3年にもわたる仕事である.結論から言うと,最初に感じた嫌な予感はその後3年で的中していくことになる.

詳しくは書かないが,とにかく自分にとっての彼は,とっても嫌な奴だった.そもそも根本的なコミュニケーションが取れない.まざまざと彼からはこけにされた(彼はそのように感じていなかったと思うが).彼は「出来るチーフ」であると自負しているようだった.でも,その下で働く身としては,彼からは明確な意見や指示は何もなく,ただただ自分で考えろと.しかし,自分で考えたことを実行しようとすると,それはおかしい・・・と.自分で考えろと言いながら,彼の中には一定の見解がある.その彼の考えを推し量れと言ってるようなものだ.彼の考えを推し量ることが自分で考えることではないので,これが1年続き,2年たち,強烈なストレスになっていった.

そして,最後の3年目の年,なるべくして自分は病的になった.彼だけでなく,そもそも人との応対に完全に嫌気がさし,半ば対人恐怖といった状態までいっていたと思う.でも,自分は諦めなかった.彼には彼のやり方があるのだと思うが,自分はここでくじけるわけにはいかない・・・と,最後の1年はかなりふんばって仕事をした.そのかいあって,その仕事は無事に終了,というか成功の部類に入るくらいの成果を出した.

おそらく,職場のほとんどの人間は,これはすべて彼の功績になっている.でも大きな声で叫びたい..「その功績に至るまで自分がどれだけ自分を押し殺し,彼に服従したか.そして,もう二度と彼とは一緒に仕事はしない!」と.